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寒い夜には、やっぱりこれ、豚しゃぶ、冷しゃぶよりおいしい
請西鍋(常永鍋 じょうえいなべ)と常夜鍋(じょうやなべ)

 常夜鍋(じょうやなべ)とは、福島地方に伝わる鍋で、常永鍋(じょうえいなべ)は、たまたま私が学生時代に見つけた、この変法です。シンプルなのに、豚バラ肉のおいしさを、隈なく引き出し、栄養価のわりにあっさりとした食感は、女性、小さい子供さんや年配者にも喜ばれます。下準備がほとんど要らないので、キャンプ先での、贅沢な料理としても重宝します。キャンプの時、包丁が油まみれになるのを嫌い、うちでは油揚げを手でちぎるので、下の写真のようになります。常永鍋(じょうえいなべ)は、うちでは良くやる、人気の鍋なのですが、レシピはおそらく、我が家と、かつての学友くらいしか知らないと思うので、ここでは強引に(^x^;)、ご当地『 請西鍋(じょうざいなべ) 』として紹介させていただきました。

 この鍋の写真と説明を見ただけで、おいしさが予測できる方は、かなりの料理通でしょう。実際、めちゃくちゃ旨いのですが、私は、友人宅で初めて食べるまで、おいしいというイメージが全く湧きませんでした。むしろ、貧相でまずそうな手抜き料理という印象さえありましたが、これが大間違い!!

材料(請西鍋 じょうざいなべ、4〜6人前)

● 豚バラ薄切り400〜600g(ロースでは駄目!! バラがおいしいのです。国内産でなくても全く問題なし)、● ほうれん草2輪、● 絹ごし豆腐2丁(木綿でもやりましたが、つるんとした食感の絹ごしが最適です)、● 油揚げ5枚入り2パック、● ニンニク4〜5片(半株くらい)、● 長ねぎ1/2〜1本、● ポン酢、● 味ポン

作り方

@ ● スライスされた肉は半分に切っても良いし、そのままでも構いません。ロースではパサパサするので、必ずバラ肉を使うのがポイントです。● ほうれん草は根元の赤いところま食べられるよう良く洗い、3〜4等分に切ります。福島地方の原法では、ほうれん草を下茹ですることになっていますが、そのまま食卓に上げても十分です。● 絹ごしは8等分、● 油揚げは三角に4等分します。以前は、綺麗に大皿に盛ったものですが、最近は、パックのまま食卓に上がることが多くなりました。● 長ねぎは、薄く輪切りにし、好みで取れるよう、1つの小鉢に盛っておきます。

A 大きめの土鍋、もしくは鍋に水を半分よりやや少なめに張り、● 薄切りのニンニクを全て入れ、沸騰させます。ここまではキッチンでやりますが、酒宴なら、最初から食卓でカセットコンロを使って沸かしても、待ち時間の楽しみがあります。

B 食卓に卓上コンロを置き、鍋を火にかけ、具材を準備した1/4量ほど入れ、蓋をします。下から肉、豆腐、油揚げ、ほうれん草の順に入れると、丁度良く煮上がります。肉はくっつかないようほぐしておきます。

C やがて沸騰するので、鍋の蓋の孔から、白い水蒸気が盛んに吹き始めたら、できた合図です(下写真)。火を止めるか細くして、蓋を開けます。

D 各自、とり皿にポン酢、味ポンを1:1に入れて、つけ汁とし、鍋から好きなものを取り、好みで、刻んだ長ねぎを添えて、食べます。絹ごし豆腐は崩れるので、すくうときお玉か、れんげが必要です。つけ汁が濃かったら、鍋のゆで汁を少しすくって、薄めます。豚バラと、ほうれん草を一緒に食べるのが定石で、肉の旨みとほうれん草のこくが見事に調和します。具は、他の鍋のように、途中で足さずに、鍋の中がほぼ空になってから、次の具材を入れ、再び蓋をして煮えるのを待ちます。

E 具材が余ったら、残りを全て入れて一煮立ちさせ、翌日に持ち越します。生ラーメンのスープにすると、こってりとした脂の旨みがたまりませんし、味噌を入れると、最上のトン汁ができます。味噌仕立てで、うどんを入れてもおいしく頂けます。

 我が家では、この鍋をやると、翌朝は豚汁、夕食は味噌仕立てのうどんが大好評です。


常永鍋の云われ(どうでもよろしい路地裏話) ⇔ 請西鍋

 私の浪人時代、1浪、2浪のうちは、若気の至り、何事も前向きに考え、失敗なんて笑い飛ばして過ごしたものです。
 軽音楽に明け暮れ、友人と昼日中からボーリング、真夜中に単車で海まで飛ばしたり、18禁のピンク映画を見に行ったりと、青春の1ページの延長だと確信していた頃でした。
 しかし、3浪から先ともなると、毎日の生活に、少々陰りが出てきます。高校時代の友人も、次の行き先が決まってしまうと、新たな仲間との交流が中心となり、接点は遠のきます。

 ときは1980年。春一番の吹き荒れる、歌舞伎町のディスコで大騒ぎした同窓会を終え、深夜に帰宅すると、その翌日からは、なんだかぽっかりと、大きな穴が開いたような毎日が続きました。交通違反で、白バイに捕まると、青切符の職業欄に書かれた『無職』の二文字が、虚ろな心に突き刺さります。

 それまで働いていた、ファックスの取り付けメンテナンス会社も、自分なりに将来のことを考え、退社することにしました。やむなく実家を後にした私は、アルバイトで新聞配達をしたり、学校警備をしながら、昼前に起きては少し勉強をして、楽器で遊んで、また勉強。夕方に、十も年長で定職を持った独居アパートの隣人達が帰れば、連れ立って銭湯に行き、3、4人も集まれば、花札をしながら、焼酎で飲み明かす。 まるで、毎日が、奇妙に充実しておりましたが、思い起こすと、この時期が、私にとっての『人生のどん底』だったのでしょう。

 それでも、練馬の小中学校時代の悪友達は、ときどき訪ねてきてくれました。郷里に帰ると、いまだに飲み友達であり、時々、木更津にも遊びに来てくれるので、友人とはありがたいものだと、つくづく思います。今となっては、皆、社会の歯車に組み込まれ、初老の兆し、若いころには想像もしなかった、時代の流れを感じさせます。

 その中でも、私が精神的に、最も貧窮した時期、昼間突然やってきては、よく話し相手になってくれる奴(毅君)がおりました。

 さわやかな初夏の昼下がりだというのに、どこに出かけるという当てもなし。青春を日々、漫然と浪費している青年を前に、
「どうしてるかと思ってさあ、ドライブでも行かないか?」
などと、気晴らしによく連れ出してくれました。進学の決まった年、山梨まで、夫婦で引っ越しを手伝ってくれたのも奴でした。その後、彼も、事業に失敗したり、東日本大震災の被災者である母を抱え、紆余曲折ありましたが、今では、本郷三丁目に3店舗のインドレストランを構えています。


 そんな気の長い話なので、これは今から、30年も前の話です。
 毅君は、福島の勿来(なこそ)出身です。小学校5年生の時に、練馬に引っ越してきました。小学時代はサイクリング、中学時代はビートルズで意気投合し、互いに切磋琢磨してきた仲です。

「今日は、鍋でもやるか?」
と言う話になり
福島の鍋で『じょうやなべ』っていうのがあるんだけど、やってみない? 母ちゃんが良く作ってたからさ。俺、子供のころから食ってたよ。すげえ旨いんだよ! 『常の夜の鍋』って書くんだけど、毎晩食っても、飽きない鍋っていう意味らしいんだよね。」
「どんなの?」と私が聞くと
豚バラと、下茹でしたほうれん草を、しゃぶしゃぶみたいにさっとゆでて、ゆで汁で薄めた醤油とポン酢で食うの。」
「うーん・・・。でも今日は、鶏鍋にしないか?」
料理経験のほとんどない私は、なんだかシンプル過ぎて、実際、旨そうだとは思いませんでした。

1年ほどたった、とある日、大黒埠頭へ行った釣りの帰り、夜も遅くなったので、当時、目黒に転居していた毅君宅に泊まることになりました。
「今日は、お袋が常夜鍋作ったって。」

そうか、ついに、例の鍋が食えるのか。薦められながらも、ずっと敬遠してきただけに、果たしてどんな味なのか?興味と期待の入り混じる思いでした。食卓に上がった鍋は、無念にも私の予想を裏切らず、豚バラと、ほうれん草が湯の中に揺らいでいるだけの、やはり、素気のないものです。言われたとおりに小鉢に醤油とポン酢を1:1に入れ、おたまですくったゆで汁で割る。
肉とほうれん草を一緒に食うんだ。」

 次の瞬間、予期していたものと真っ向から対立する味覚に、私は喚起の色を隠せませんでした。
「おお!!」
「ね。旨いでしょ。余った汁は、次の日ラーメンのスープにすると旨いんだ。」
翌、昼前、近所のスーパーで生めんを買い、醤油味のスープを、鍋のゆで汁で割って作ったラーメンは、背脂のような、こってりがたまらない、うなる味でした。

 以来、彼が私の下宿に来てくれる度、常夜鍋がその名の通り、常の夜の酒の肴となりました。

「これ、豚肉料理なら最高だな!!」

 暇を持て余している学生時代、週に1〜2度、仲間で集まって、飲み会をしたものです。もちろん、つまみは、ほとんどが乾きもの。
バスケ部に、バレー部、ボート部、ヨット部の食欲旺盛な男どもです。ある冬の日、おでんも飽きた、鶏鍋も飽きた、焼肉も、すき焼きもやったばかりだし、次は何にしよう?ということで、私の下宿で、何か安く上がる鍋をやろうと言うことになりました。
 そこで思い出したのが、常夜鍋でしたが、貧乏学生の当時、少しでも、安く上げようと経費節減、つまり、少ない肉でもたらふく食べれる工夫として、私が編み出したのが、豆腐と、油揚げを加えて、かさ増しするという手法でした。つけ汁は、醤油とポン酢を1:1で注ぎ、刻み葱を加えて食べました。ところが、これが大当たり!

「アゲがうまい!」
「豆腐がうまいよ!!」
挙句の果てには、
「これ、豚肉料理なら最高だな!!」

「またやろうぜ、あのニンニクのなべ。何だっけ、常永鍋(じょうえいなべ)だっけ?」
当時、下宿の近くに、身延線(みのぶせん)常永(じょうえい)という駅があったせいで、誰もがこの響きの印象が強く、私が友人にかさ増しして紹介した常夜鍋は、いつしか仲間内で『常永鍋』と、呼ばれるようになりました。

 その頃、学内に、『ポンタクラブ』という日本酒の利き酒会まがいの同好会があったのですが、この会でも常連鍋に選ばれました。

 請西に入居して早11年。我が家では、鍋と言ったら、これをやります。今では、つけ汁を、味ポンとポン酢を1:1とし、刻み葱を手づかみでたっぷり乗せるのが、請西流(^x^;)です。騙されたつもりで、一度やってみてください。やみつきになること請合います(^x^;)
(挿絵:konkon@木更津:平成27年1月25日)。

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